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震災の1-5年後、長期的な美健楽ケアを考え中

震災後、久しぶりにネットに一般公開する文章を書きます。東京行きを延期して、まだ鹿児島にいる桜子です。

放射能疎開ではなく、もともとカナダ移住前に実家に3週間戻って父の見舞いを集中的にする予定でした。4月には東京に戻ってメディア向けの定例プチセミナーを行ってからカナダ出発、の予定でしたが、そちらはキャンセル。メディアの方々も一般の方々や私たち自身も、そういう気分ではないようなので。

ブログコメント(非公開)のところへ、私の安否までご心配いただいたコメントを複数いただいておりました。ありがとうございます。ブログ読者、マスター協会関連のみなさまのご無事も心より願っております。

私は震災時は東京にいて、震度5を経験したり一時避難所にお世話になったりしました。が、阪神淡路大震災での経験ですばやく動けたのと、いろんな奇跡的ラッキーが次々に5つほど重なり、結果としては体も資産も無傷で実家の鹿児島に戻ることができました。友人や親戚たちの間で強運の桜子と評判になっていますが、ライフミッションを果たす方向へ自分が動くと、周りの状況がするするとそちらへ誘ってくれる、というのを再実感しています。

とはいえここ3週間の私は、目的の用事と移住関連の仕事や準備もしていましたが、かなりぼんやり。色々思うところがあったり、家族関連でやることがあったり、効率の悪い仕事ぶりでした。ブログやFacebookも更新しようとしたのです。が、なまじ阪神淡路の震災で、ど真ん中の東灘区で被災しているだけに、地震関連のことを文字にするとそらぞらしくなったり感情に流れたりするような気がして、文字を書けなかった、というのもあります。

被災者として1年ほど復興活動をしていた時に、いろんな方々が温かい言葉をかけてくれた。けど、茫然とした心や耳には、つるつるした膜がかかったようで、その言葉の大半は上滑り。同じ被災者同士、繰り返し被災体験を語りあうことのみで、必死で心を建て直そうとしていたのを思い出しました。

外からの言葉がようやく聞こえ始めたのは、1年後: アメリカの東海岸の友人宅に休暇名目ででかけ、着くなり無意識下の地震の恐怖から解放され、3日間泥のように眠った。その後神戸に戻れ、ネット環境も復活し、やっと通常の生活に戻り始めた時、までかかりましたね(いわゆるPTSDが治るには、さらに4年で計5年ほどかかりました)個人的差異はあると思いますが、神戸の被災者の心と体の完全復興には、最低5年ー10年はかかったと、被災者仲間で語り合ったことがあります。

というわけで、今できることを考えている人はたくさんいて下さるし、現地に行っても個人にできることは限られているし、迷惑になることも。だから今できることとしては、お金!と割り切って、資産の1%を赤十字に寄付するだけにします。神戸の時にはぶっちゃけ、義援金=お金がやはり一番ありがたかった。全壊マンションや仮住まいからの引越しが、義援金のおかげで金銭的、精神的に楽になった、ほっとしたのを覚えています。(あと覚えているのは、被災後最初に食べた温かい食べ物と飲み物の差し入れ、ですね)

そして私自身の活動としては、1-5年先の美健楽を長期的に考える: 1-5年後、震災の記憶がが風化し始め、被災者・日本人全体が長期的に悩み疲れたり緊張の糸が切れ始めた時に、彼らの私たちの美健楽のためになにが有効か、今から考えて準備していこうと思っています。

すでに外国や日本在住のコーチングのお客様たちのフォローをしつつ、それがなになのかぼんやりとわかり始めていますが、詳しくはまた後日。ブログだけではなく、いろんな方法で、また英語と日本語の両方で発信していこうと思っています。

みなさん、お互いに頑張りすぎず、
たまには素直に落ち込んで泣いてみたり、
目の前の仕事ややることに心を空にして集中してみたり。。。

気が付いたときに大きく深呼吸を3回する癖をつけて、淡々と長期戦で、体と心を復興させていきましょうね。

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4月 3, 2011 97ブログ関連 |

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